プロ野球界での活躍を経て、メジャーリーグへの挑戦が期待されている佐々木朗希選手。
圧倒的な速球と実力で注目を集めるプロ野球界のスターですよね。
佐々木朗希さんが野球をはじめた影響は父親の野球好きにあったようです。
今回は佐々木朗希選手の父親について、職業やどのような人物だったのかなどをご紹介します。
- 佐々木朗希の父親の職業
- 佐々木朗希と父親とのエピソード
- 佐々木朗希一家の家族の絆
などをご紹介します。
佐々木朗希の父親の職業は?どんな人物だった?
佐々木朗希選手の父親の名前は、佐々木功太(ささきこうた)さんと言います。
「葬儀屋」で働いており、地域にも信頼される人物だったそうです。
誰とでもすごく仲良くしていて、みんなに愛されていたのかなぁ
引用:日刊スポーツ
佐々木朗希さんから見た父親の印象は「みんなに愛されていた」なんですね。
父親の功太さんは2011年3月11日の東日本大震災の津波で37歳という若さで命を落としています。
葬儀屋は休みだった?
父親の功太さんは震災当日、陸前高田市の自宅にいたようです。
佐々木朗希選手の祖父母とともに、津波に巻き込まれてしまったとのこと。
津波が起こった時間は午後3時~5時くらいなので、普段なら仕事に行っていたのかもしれません。
「葬儀屋」ということで、休日が不規則だったのではないかと考えられますね。
人情あふれる性格!葬儀屋に向いていた?
佐々木朗希選手の父親の「葬儀屋」という職業は、一般的には「人の死に直面するので、精神的にきつそう」と、このように思う方も多いのではないでしょうか。
父親の功太さんの性格は、リーダータイプで責任感のある性格だったようです。
「有言実行の人。一緒にやろうという仲間作りが上手な人でした」
引用:日刊スポーツ
「気さくで、行動力があって。先輩も後輩も、みんなが付いていって」
引用:日刊スポーツ
「葬儀屋」に向いていると言われる性格として…
- 臨機応変に対応できる人
- 体力やメンタルが強い人
- コミュニケーション能力がある人
- 思いやりがある
- 繊細な配慮ができる人
父親である功太さんは、このような性格の人物だったのではないでしょうか。
佐々木朗希と父親・功太さんのエピソード
佐々木朗希選手は父親の功太さんとの思い出など、エピソードをいくつか話しています。
前述したように、佐々木朗希さんが野球をはじめた影響は父親の野球好きでした。
父とのキャッチボール
佐々木朗希選手と父親は、幼ない頃からキャッチボールをよくしていました。
まだ小学校2.3年生の佐々木朗希選手に本気で投げていたんだとか。
大人が本気で投げるボールをしっかりとキャッチして、投げ返していたそう。
父親はこの頃から、「朗希はすごい選手になる」と周りの人達に話していたようです。
佐々木朗希選手は後に以下のように話しています。
「小さい時にキャッチボールとか野球の楽しさを教えてもらったので本当に感謝してます。プロで活躍する姿を(天国の父に)見せたいなと思います」
引用:スポーツ報知
今でも父親との思い出を大切にし、それを心の支えにしていると言われていますね。
父親から受け継いだDNA
- 高身長
- 挑戦する心
父親の功太さんはバスケットボールをしていた事もあって身長が180cmあったそうです。
佐々木朗希選手はそれを抜く192cmという高身長で、リーチも長く恵まれた体型をしています。
佐々木朗希選手が受け継いだ父の教えとしては、「挑戦する心」です。
その教えや価値観は家族から佐々木朗希選手に受け継がれたようです。
父親との別れは9歳という幼い頃でしたが、「父の背中」を思い出しながら頑張り続けています。
佐々木朗希と家族の絆
佐々木朗希さんは2011年9歳のときに、東日本大震災で多大な被害を受けました。
震災後は佐々木家は仮設住宅での生活を余儀なくされ、母親は、3人の子供を支えながら懸命に働いたと言います。
父親と祖母を亡くしただけでなく、思い出の詰まった家にも住めなくなってしまい、大船渡市に引っ越しをしました。
このときの苦労は家族を一つにし、強い絆を生み出したと言われています。
また佐々木朗希さんの兄である長男の琉希さんが、弟たちの面倒を見て、お互い支え合いながら成長したそうです。
ウィニングボールは両親に!
佐々木朗希選手は、2021年5月27日に阪神との交流戦でプロ初勝利をあげました。
ヒーローインタビューではウイニングボールをどうするかという質問に、
このように答えました。
これに対し佐々木朗希さんの母親は「私にではなく両親にプレゼントします」と言ったのが嬉しかったと話しています。
佐々木朗希選手にとって、父親は大きな存在であり感謝の気持ちが感じられましたね。
まとめ|佐々木朗希の父親の職業は?人情あふれる性格で地域に愛されていた
- 佐々木朗希の父親の職業は「葬儀屋」
- 佐々木朗希の父親は2011年の東日本大震災の津波で亡くなった
- 佐々木朗希は幼い頃から父親とキャッチボールをしていた
- 佐々木朗希は父親から高身長と挑戦する心を受け継いでいる
- 佐々木朗希一家は母親と兄弟と一丸となって支え合ってきた
以上、佐々木朗希選手の父親の職業やどのような人物だったのかをご紹介しました。
佐々木朗希選手にとって父親をなくしたことは、とても大きな悲しみとなりましたが教えや思いは心の中でずっと生き続けているのでしょう。
佐々木朗希選手は、野球を通じての父の存在を感じながら生きているように思えますね。