小泉進次郎が宮本佳代子を避ける3つの理由!家庭環境が複雑過ぎた


小泉進次郎(43)さんは1歳の頃に両親が離婚していたために、生みの母がいることを中学2年生まで知りませんでした。

長い間、実母である宮本佳代子さんとの再会を避けていた、という事実がありますが、これは小泉進次郎さんの生い立ちと家庭環境が関係しているようです。

今回は、小泉進次郎さんが実母との再会を避けていた3つの理由を詳しく解説します。

また、再会しようと思ったキッカケなもご紹介します!

この記事でわかること
  • 小泉進次郎が宮本佳代子と再会を避けていた理由3つ
  • 小泉進次郎が宮本佳代子と再会をしたキッカケは?

などをお伝えします。

目次


小泉進次郎が宮本佳代子を避ける3つの理由!

画像引用:週刊女性PRIME

小泉進次郎さんが長い間、実母である宮本佳代子さんとの再会を避けていた理由には、政治家の父親を持ち複雑な家庭環境だったことだが関係しています。

小泉進次郎さんが宮本佳代子さんとの再会を避けていた3つの理由はコチラです。

  • 理由1:母親は道子だと思っていたから
  • 理由2:実母に会うことは道子を裏切ると思っていたから
  • 理由3:自分を捨てた恨みがあったから

これらについて詳しく解説していきます。



理由1:母親は道子だと思っていたから

小泉進次郎さんが宮本佳代子さんとの再会を避けていた最初の理由は、中学2年生まで「母親は道子」と思い込んでいたからです。

1歳の時に両親が離婚をして生き別れになっているわけですから、本当の母親を覚えているわけがないでですよね。

また、父親である小泉純一郎さんは政治家として日々忙しく議員宿舎生活をしながら活動をしていたので、小泉進次郎さんと兄の孝太郎さんの世話をしていたのは小泉道子(こいずみみちこ)さんでした。

小泉道子さんは小泉純一郎さんの実の姉であり、当時から小泉家の実権を握っていたとも言われています。

純一郎の姉である長女・道子さんが家事を、もう一人の姉・信子さん(純一郎の元公設秘書)が躾などの教育をしていたようです。

引用:集英社オンライン

こういった事情から、小泉道子さんのことを母親だと思い込んで「ママ」と呼んで育ちました。

小泉道子さんには離婚した夫との間に娘がいましたがこの時すでに成人していたので、甥っ子達の「母親」として生きました

小泉進次郎さんにとっては母親代わりであり、疑うことなく「母親」だと思ていたことが心に大きな影響を与えたと考えられます。

兄の孝太郎さんは「ママ」が「母親」でないことは知ってたけど、弟には真実を黙っていたんだって!

兄の孝太郎さんは両親の離婚が4歳の時だったので覚えていたのでしょう。

続いて2つ目の理由を見ていきましょう!

理由2:実母に会うことは道子を裏切ると思っていたから

小泉進次郎さんが宮本佳代子さんと再会を避けていた2つ目の理由は、会うことで母親代わりとして育ててくれた叔母の小泉道子さんをを裏切ることになる、と感じていたからです。

 小泉道子さん 画像引用:協会紙「大地」

小泉道子さんは2016年8月20日に他界しているよ!

私を産んでくれた母には、会う気にはなれなかった。会ったら、母親代わりとして育ててくれたおばを裏切ることになると思った

引用:JCASTニュース

49歳で幼い2人の子供の母になり、授業参観や遠足にも積極的に参加をしてくれた「ママ」に対して深い愛情と感謝の念が強くあったようです。

このように幼い頃から小泉道子さんに育てられた小泉進次郎さんにとって、本当の母親以上の存在であったことが分かります。

そのため、宮本佳代子さんに会うことは「ママ」を裏切ると感じたのでしょう。

小さいころの進ちゃんは身体が弱くてね。夜中に高熱が出ることも多くて、その度に道子さんが抱きかかえて病院へ連れて行っていました。でも彼女は『本当に手のかかる子だけど、その分、情が深くなるのよね』と笑っていました」(近所に住む主婦)

引用:女性自身

これが一番の理由なのかもしれません。

続いて3つ目の理由を見ていきましょう!



理由3:自分を捨てた恨みから

最後の理由は、小泉進次郎さんが宮本佳代子さんに対して「自分を捨てた」という強い恨みがあったのでは?

と考えられます。

宮本佳代子さん  画像引用:大里綜合管理(株)
  • 生まれ年:1956年(67 – 68歳)
  • 出身地:神奈川県鎌倉市
  • 出身校:青山学院大学経済学部
  • 職業:経営コンサルタント

宮本佳代子さんは離婚当時、三男である宮本佳長(みやもとよしなが)さんを妊娠していました。

宮本佳長さんの親権に関しては調停の結果、宮本佳代子さんが得ています。

宮本佳長さん  画像引用:三井不動産レジデンシャル

そのため小泉進次郎さんからすると、三男だけ連れて行って自分たちは実母に捨てられた、と感じてもおかしくはありません。

中学2年生で真実を知り年を重ねるにつれ、深い悲しみから強い恨みに変わっていったのかもしれません。

こういった感情が、宮本佳代子さんを避けていた原因の1つではないでしょうか。

小泉進次郎さんと宮本佳長さんとの関係を知りたい人はこの記事を読んでくださいね。

小泉進次郎さんが母親・宮本佳代子さんとの再会を避けていた理由はとても深い事情があったことが分かりましたね。

兄の孝太郎さんは母親と一度会ってからは連絡を取り合っているそうだよ!

そんな小泉進次郎さん、2024年に入ってから宮本佳代子さんと再会をしていたことを公表しました。

小泉進次郎が宮本佳代子と再会をしたキッカケは?

画像引用:CLASSY

2024年9月12日、自民党総裁選の所見発表演説会で小泉進次郎さん自身が実母に再会したことを発表しました。

長い間、再会することを避けていた小泉進次郎さんですが、どのような心境の変化があったのでしょうか。

2児の父親になったことが人生の転機となり物の見方が大きく変わった

キッカケは結婚をし子供が出来たことだったようですね。

「私自身も2児の父親になったことが人生の転機となり、それまでとは物の見方が大きく変わりました」

引用:JCASTニュース

家庭を持って子育てをしていくうちに子供への愛情や責任を感じるようになり、宮本佳代子さんに対する感情を和らげることが出来たようです。

2013年には会っていなかった?

2013年11月、三男宮本佳長さんの結婚式で5人が30年以上ぶりに揃ったとも言われています。

佳長さんが結婚。式場のホテルオークラには小泉家全員の姿があったという

引用:NEWSポストセブン

席が離れていて会話をすることはなかったのかもしれませんね。

小泉進次郎さんいわく、43年ぶりの再会だったようですが会ってよかったと話しています。

本当の親子として、少しずつ時間を取り戻せるといいですね。

小泉進次郎さんの人気の秘密を知りたい人はこの記事も読んでくださいね。



まとめ|小泉進次郎が母親・宮本佳代子と再会を避けてた3つの理由

画像引用:ビジネス+IT
この記事でわかったこと
  • 小泉進次郎が母親・宮本佳代子と再会を避けていた理由1:母親は道子だと思っていたから
  • 小泉進次郎が母親・宮本佳代子と再会を避けていた理由2:母親に会うことは道子を裏切ると思っていたから
  • 小泉進次郎が母親・宮本佳代子と再会を避けていた理由3:自分を捨てた恨みから
  • 小泉進次郎が母親・宮本佳代子と再会をしたキッカケは2児の父親になったことが人生の転機となり物の見方が大きく変わったから

以上、小泉進次郎が実母・宮本佳代子と再会を避けてたのはなぜなのか、3つの理由をご紹介しました。

小泉進次郎さんの心境の変化や様々な葛藤があったことが分かりましたね。

宮本佳代子さん、佳長さん共により良い関係を築いていけるといいですね!

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