コメディアンであり、”欽ちゃん”の愛称で知られている「萩本欽一」(83)さん。
2020年8月下旬に、30年以上連れ添った妻である澄子(すみこ)さんをなくしました。
生涯、「萩本欽一の妻」として公の場には出てくることはなかったといいます。
そんな萩本欽一さんと妻・澄子さんの馴れ初めや、2人が二拠点生活をしていた理由などをご紹介します。
- 萩本欽一と妻・澄子の出会い
- 萩本欽一の壮絶なプロポーズ
- 萩本欽一と妻・澄子の2拠点生活の不思議な関係
以上のことについてお伝えしていきます。
萩本欽一(欽ちゃん)と妻・澄子さんの出会い
萩本欽一さんは、1959年高校卒業後に浅草東洋劇場の一座に加わたことからコメディアンとしての人生が始まりました。
下積み時代の萩本欽一さんは、「浅草フランズ座 」というストリップ劇場で、ストリップショーの合間にコントをしていました。
そこで人気のストリッパーとして活躍していたのが澄子(芸名:高峰みゆき)さんでした。
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新入りの萩本欽一さんは、3歳年上の人気ダンザーの澄子さんと目を合わせることすらできなかったそうで、「雲のまた上」の存在だったとのこと。
しかし澄子さんは舞台袖から萩本欽一さんのコントをよく見ており、励ましの言葉をかけたりしていたそうです。
妻・澄子に支えられた下積み時代
3歳年上ということもあって、澄子さんにはずっとお世話になっていたという萩本欽一さん。
ある時には、アパートに帰ったら部屋にテレビが置かれていたとか。
「女の人が『鍵を開けてください』と言って、なんか置いてったよ」って。で、スミちゃんにそれとなく聞いてみたら、「ああ、これからはテレビの時代だから、ちゃんと観ておかないとテレビの世界には行けないよ。だから置いといただけよ」
引用:ダ・ビンチWEB
テレビに出はじめてもお金がない萩本さんに、タクシー代など金銭面でも工面してくれていたそうです。
そんな澄子さんはいきなり家に来て「帰るのが面倒だから泊めてくれる?」なんていうこともあったそうで、そこから親密になり同棲するようになったそうです。
萩本欽一(欽ちゃん)の壮絶なプロポーズ
萩本欽一さんと澄子さんが入籍したのは1976年35歳のときで、澄子さんと出会ってからは17年も経ってからなのですがそれにはいろんな事情があるようです。
萩本欽一さんの正式なプロポーズはなんと…
萩本欽一さんが、どのように澄子さんにプロポーズをしたのか順を追って見ていきましょう。
澄子1度目の失踪
萩本欽一さんは1966年、「東洋劇場」(浅草フランス座の入るビル)で知り合った坂上二郎と「コント55号」を結成しあっという間に人気者となり、60年代後半のテレビを席巻することとなります。
その時澄子さんは、「私とのことが誤解されて世間に伝わったら、欽ちゃんに迷惑がかかる」と言っていきなり萩本欽一さんの目の前から姿を消したそうです。
その後、なんとか澄子さんを見つけた萩本欽一さんと澄子さんとのやり取りは…
お礼がしたい
そんなつもりで応援したわけじゃない
有名になってお金も入ってきたから、恩返しをしたい
じゃあ子どもかな
ということで、結婚はせずに子供ができたもののまた居なくなったのです!
澄子2度目の失踪
子供ができたというのに、まさかの2度目の失踪後で澄子さんの行方は分からず。
その後子供が生まれた澄子さんから電話があって…
男の子が生まれたので名前をつけてください
こういう名前はどうかな
ありがとうございます。ご迷惑はおかけしませんから
それだけの会話をし、音信不通になり居場所が分からず困った萩本欽一さんは記者会見を開くことにしました。
「じつはぼく、結婚してます。子どももいます」
引用:介護ポストセブン
これが澄子さんへのプロポーズとなりました。
すでに子供は7ヶ月になっていたそうです。
この時萩本欽一さんはテレビ番組「欽ドン!」で人気絶頂でした。
やっとできた結婚
記者会見を開いた時に萩本欽一さんは、世間から非難されようがテレビの仕事がなくなろうが構わないと思っていたそう。
なんとか見つけ出した澄子さんからは…
芸能人の奥さんなんてなりたくない。
決死の覚悟で記者会見を開いた萩本欽一さんからしてみれば、まだ結婚してくれないのか!とかなり困り果てたのではないでしょうか。
こういった経緯から、やっと結婚できたのは萩本欽一さんが35歳のときだったようですね。
「芸能人の奥さんなんてなりたくない。あなたはそれで満足かもしれないけど、私にとってはいい迷惑よ」って嫌がってたけど、そこをなんとかって結婚してもらった。
介護ポストセブン
澄子さんの萩本欽一さんに迷惑をかけたくないとの揺るがない気持ちは、本当に萩本欽一さんのことを大切に思っているからこそですよね!
萩本欽一(欽ちゃん)と妻・澄子の二拠点生活
やっと結婚できたものの、萩本欽一さんと妻・澄子さんの関係は世間の”普通”とはズレていたそうです。
萩本欽一さんは東京の事務所代わりの家で過ごし、澄子さんと子供たちは神奈川県二宮町の自宅で2拠点生活をしていました。
別居ではなく2拠点生活の不思議な関係で、バランスを保っていたようです。
結婚した頃は、テレビ局の人がたくさん家に出入りするものだから、スミちゃんは「一緒に住むのは苦痛だ」と言ってね。それで、スミちゃんと子どもたちは静かなところで暮らすことにしたの。
この頃はこのように話していた澄子さんですが、後に「できれば内緒で遠くで応援したかった」と話したそうです。
2人の間には子供は男の子が3人と子宝に恵まれましたが、萩本欽一さんははじめこそ日曜日になれば二宮町に帰っていたものの、澄子さんの一言でほとんど帰らなくなったそうです。
- 長男:一童さん 1975年12月生まれ(48歳)
- 次男:越史さん 1978年生まれ(45or46歳)
- 三男:征九郎さん 1980年生まれ(43or44歳)※年齢は2024年8月時点
「視聴率100%男」は妻・澄子のおかげ?
萩本欽一さんは、東京でたくさんの仕事を抱えていた中、子どもと遊ぶために二宮町の家に帰るとある日澄子さんに言われたそうです。
無理しなくていいから。ぜんぜん楽しそうじゃない。いい父親の真似事なんてしなくていいから、笑いのこと考えてなさい
澄子さんがこのように言ってくれたおかげで、仕事に没頭できたんだそうです。
「男は好きな仕事に突っ走るのが一番。私と子どものことは気にしなくていいから」って、ぼくを放し飼いにしてくれた。おかげでぼくは、めったに家に帰らないまま、笑いのことだけを考えていられたし、たくさんの人気番組も作れた。
引用:介護ポストセブン
晩年になり澄子さんは萩本欽一さんと結婚した理由は「ファンだったから」と話したそうです。
澄子さんの行動、発言はすべてファンゆえのことだったようです。
萩本欽一さんもそれを聞いてすべて納得がいったそうです!
澄子さんどこまでもカッコいい奥さんだったんですね!
まとめ|萩本欽一(欽ちゃん)と妻の馴れ初めは?2拠点生活の不思議な関係!
- 萩本欽一さんと妻・澄子さんの出会いは「浅草フランス座」
- 萩本欽一さんは澄子さんに記者会見を通じてプロポーズをした
- 萩本欽一さんと妻・澄子さんは東京都神奈川県の二宮町の2拠点生活をしていた
以上、萩本欽一(欽ちゃん)さんと妻・澄子さんの馴れ初めと、二人の2拠点生活についてお伝えしました。
萩本欽一さんにとって妻の澄子さんは、ずっと頼りになるお姉さんだったと言いますが、実は理想の奥さんであり立派なお母さんだったそうです。
とてもステキな御夫婦だったことが分かりましたね。
現在83歳の萩本欽一さんこれからも元気に活動を続けてほしいですね!
萩本欽一さんの現在を知りたい人はこちらの記事も読んでくださいね。
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